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横浜青葉倫理法人会サンで、イブニングセミナー登壇が決まりました〜‼️

#人財育成型®︎研修講師
#魔法の接客術®︎アドバイザー
#スーパー営業サポーター®︎
#モヒカン紳士
#生駒俊介
でっす。

少し前に62歳の誕生日を迎えました&私の誕生日は1961年4月13日
早産で生まれ、2,400g足らずの未熟児でした。

生まれて三ヶ月程、病院のガラス箱で育ったらしい。
生まれた時、顔は可愛かったらしいが身体がまるで猿の様で…母親は恥ずかしくて産着で顔以外隠してしまった〜とよく聞かされました。笑

お気付きかと思いますが、出身地の生駒と私の名前の苗字は同じなんです。
そうすれば、よく二つのことを言われます^ ^
一つは『生駒』に行けば、『生駒』サンばかりなのですか〜⁈
…いやいや、それはございません!地元の小学校の時に通っていた時も『生駒』の姓を名乗っていたのは、二人の姉とこの私だけでしたから〜笑笑
で、もう一つが、それは本名ですか⁈です♪
…ハイ、私の戸籍上の名前がまさしく『生駒俊介』です!
つまり、芸名かと間違われるのですねー笑笑

この私、ちょい面白い小学校生活を送っておりました…
ちょうど小学校4年生の今頃…学校帰りに『ある方』を見て、『これ、めちゃくちゃカッコええやん、僕もやろう〜』と、言うことで家に帰ってカバンを置くや否や、自転車に乗って商店街にあった新聞集配所に行くのです!

『おっちゃん、俺、雇て‼️』
『お父さん、お母さん、知ってんのか⁈』
『知らん…』
『あかん、あかん、お父さんかお母さんに言ってから来い〜』

家に帰り
『母さん、俺、新聞配達したいねんけど』
『お母さんわからんから、お父さんに自分で言いなさい〜』
って、当時、父親は総合商社の営業のトップでしたので…毎日、終電帰り、つまり、この私は、平日は父親の帰って来た姿を見たことがなかったのです…
その日は、母親にほだされて眠た目を擦りながら食卓テーブルで父親の帰りを待っていました〜

その日も12時過ぎに父親は帰って来ました。
『俊ちゃん、あなたに聞いて欲しいことあるって言って待ってるわよ〜』
『ふーん、何や?』
と、言いながら食卓テーブルにつく。
『父さん、俺、新聞配達したいねんけど…』
『お〜、新聞配達か?』
ちょっと考えて
『俊、それはお金貰えるってことやなぁ?』
その時、気付きました〜
その頃、数百円でしたがお小遣いを貰っていたし、お金が欲しくて新聞配達をしたくなったわけではなく…したいからしょう〜と思っていたので…お金を貰えることを考えでいなかったのです。

『貰えるかもしれん…』
『そりゃあ、もらわないあかんやろ!』

………中略……

『新聞配達するってことは、新聞屋さんから何時までに〇〇サンに新聞を配ると言う役割をもらい、それをやり切ると言う責任を果たし、対価を貰うこと…
これが働くってことなんだ〜』
と、教わりました。

『そうなんだ…(わかった様なわからない様な…)』
『それをわかった上で、新聞配達やるのか⁈』
ハッキリ言って、父親に詰められた僕…今更、やらないとは言えず…
『やります、やらせてください!』
『ほー、それならいつまでやるんだ?』
厳しい父親からそう言われた僕は…
『小学校卒業するまでやる』
『お父さんと約束するか?』
『約束する』
『それじゃあ、明日、お母さんと一緒にその新聞屋さんに連れて行ってもらい、やらせてもらえる様頼んでもらえ〜』

って、わけで新聞配達が始まるのです。

えっ?

もちろん…その後小学校を卒業するまでの約三年間…新聞少年として勤め上げましたよ!
何故なら…父親との約束でしたから〜

約束を違えれば…

小学校の卒業式の日、僕は何と思ったか…
『これで、新聞少年を卒業出来る〜』ってことで、ある意味達成感と共に市場の喜びとなったわけです♪

私の父親は厳しい人間で、こと仕事のことになると、会社では『鬼の生駒』と言われるほど厳しい男でした。
この私は厳しく育てられました。

その昔…父親とは諍いがあり、
『なんで…この人が父親なんだ?』
などと、考えたものでした。

2000年に独立起業しやっと順調になり出した2005年の三月に父親は逝きました。
…半年くらい経って来ると、その諍いばかりだった父親を許せる様になり、なんだか『感謝』の気持ちが芽生えて来たのです。
何故?そうなったのか…自分でも謎なのですが、確かに気持ちの変化がございました。

やがて、ひょんなことから子供を持つこととなり、父親になって9年半…可愛い娘達と過ごす時間は私にとって一番大切な時間ではあるのですが、決して甘いことばかり言ってはおりません。

厳しさの裏返しが優しさ

私が父親から学んだのは、単に厳しく育てられたのではなく、生きていくためには気概が必要で、かつ、約束を違えない生き方を教えてくれたのです。

62歳の誕生日を迎えた日、私が子供を持つ意味を考えた時…そんなことを思い出しました。

うーむ、実のところ、娘達に厳しく接することも多い私でも娘達と仲良く過ごせるのは、きっとそれが『愛情』だと思っていてくれているからかなぁ〜そんなことを考えます。

そして、これかもその娘達に
『カッコイイお父さん』
で、あるために最高なパフォーマンスを発揮します!

この度、横浜青葉倫理法人会サンからオファーをいただきまして、7月5日の夜にイブニングセミナーにて登壇させていただくこととなりました。


倫理法人会に入会して一年も満たないこの私にイブニングセミナー登壇と言う大役のご依頼をいただきました‼️

期待を一新に受け、会員増強のため全力を尽くしマッスル٩( ᐛ )و

感謝。

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昨日の居酒屋メニューから〜
ケールのシーザーサラダになります🥗

#人財育成型®︎研修講師
#魔法の接客術®︎アドバイザー
#スーパー営業サポーター®︎
#モヒカン紳士
#生駒俊介
でっす^ ^

最近の我が家の楽しみの一つに…
土曜日の居酒屋タイムがございます‼️

と、言いますのも…
昨年の秋に、隣駅に出来ました
串カツ田中
に行くことから始まりました。

串カツ田中
は、ご存知…私の大好きな大阪B級グルメが堪能出来ますお店で、そのお店に通う様になってから始まりました。

と、毎週土曜日だけ、夜ご飯の時にお酒をいただくと言うリラックスタイムを私が作りたくてが重なり、そんなのが我が家の恒例となったわけでっす^ ^

それと、娘達も少しずつ大きくなり『お酒を飲んでいる大人』を見せるのも悪くない〜とか、色々なお店に連れて行き、接客の良さやお店の雰囲気を味わらせるのも勉強になるかも〜なんても発想します♪

また、お店によれば、子供向けサービスも充実していたりして、娘達もそれなり楽しめるのですねー^ ^

実はんな発想は、私の生い立ちからにあります!
と、言いますのも…この私が育ちました『生駒家』は家族揃って外食などは数えるほどしかなく、ましては家族旅行などは生涯に一回こっきり…それも旅行が目的ではなく、両親が仲人として呼ばれました結婚式に、連れて行かれた〜そんな具合でした。

父親は商社マン、しかもバリバリのモーレツサラリーマン、家族のことなど見向きすることなどなく、働いてました。

又、その父親も自身の父親を9歳の頃亡くして、なかなかしんどかった様で『家族愛』みたいことの経験の無い生い立ちなのです。

だから…仕方ないと言えばそれまでなんですが…

で、
私もそうなるか?
正に、娘達を持つまでは、その父親寄りの発想でした。

ただ、娘が生まれて、一歳前に初めて家族旅行をしたのです。
その時の楽しさこそ半端なく…
今までに味わったことの無い、無類の楽しさがございました^ ^

この日、この時のために生きてきたのかも〜

って、思えるくらいの気持ちになったのです。
それからと言うものの、家族旅行は我が家の定番となりました。

で、この程、土曜日の居酒屋タイムも定番になりつつございます。

そんな時間を共にすることで、娘達との関係性も更に深くなって来ている〜と感じるのです❣️

よく人に言われるのですが…
『生駒サン、今だけですよ〜』
そう、そんなのはよーくわかっています♪
今だけだから、思いっきり楽しんでいるのです‼️

その生駒俊介の母は、めちゃくちゃ優しい人で、私を含め姉達子供のことを怒ったことなどほとんど無い母でした。
いつも愛情たっぷりで、ことあると『私が悪いのか?』と自分を責めてばかりの母でした。

それで、私がちと悪いことをして、例えば校則を破り色々な罰則を受けたとしても…
『あんたは大丈夫や…私の子供やから…』
と、言って私のことを怒ることをしなかったのです。

わかりますよねー
そんなことを言われると、なんとなく一線を越えられ無かった…
もっと言うと、そんな言われ方以外だとこの私…今頃どうなっていたか…⁈

ただ、今考えても…そんなことを見越して言っていたのではなく、私のことを信じていた…
いや、実際は信じようとしていたんだと思うのです。

愛和

その発想の根本を一言に直すと、私的にはこの言葉になります♪
愛情は和を持って尊し…それに勝るものなし〜なんではないでしょうか〜⁈

私も娘二人を持ち、そんな親になろうとしていますが未だ未だ…私の母親の域には達しておりませんが…父親9年生を頑張っていたりします‼️


うーむ、愛和は認めること、そして信じることから始まるのでは?とやっとわかって来た今日この頃です。

そして、この頃は51歳までモノクロだった絵に色鉛筆で色を付けていく作業…そんな彩りを感じながら、日々生活しております♪

感謝。

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